• 上洞里石佛坐像/上洞里3層石塔
  • 上洞里石佛坐像/上洞里3層石塔

住所 : 江原道横城郡公根面上東里 495-3

上東里石仏座像

上東里石仏座像は八角の座台の上に結跏趺坐し、降魔触地印の手印をした仏像として、現在頭像を失い新たに復元された頭像が不自然に載せられている。しかし、1990年代初までは、元の頭部が首の上に折れたまましっかりと残っていた。元の頭部、耳を含む相好全面に摩耗が激しいが、螺髪に表現された頭の上には、大きな肉髻が湧いており、丸くて福々とした顔には半開した目と淑やかな鼻の下に穏かな笑みが表現され、彫刻的に非常に優れた相好を持っていた。

残った同体をよく見ると、首は上部がやや割れているが三道が表現されており、堂々と広げた双肩の上には、通肩の法衣がかかっている。

左肩で何度か折り畳まれた大衣の裾は、お腹の下に落ちながらU字形に下がっており、胸の前には斜めの僧脚崎が見える。右手は膝の上に手の甲を上向きで置かれ、左手は結跏趺坐した脚の上に手の平を上にしたまま真っ直ぐに伸ばした典型的な降魔触地印を取っている。丸い膝の上にも、層段の衣紋を簡潔に彫刻しており、両足の間には略化された扇形のしわが表現されている。仏像の背中には、光背を結合させるために開けた丸い穴があり、中辺には火焔紋が飾られた光背の破片が発見されている。

一方、上∙中∙下台に構成された台座の上台は、ほぼ原型に近い二重の仰蓮座として、蓮弁ごとに華やかな花飾りが添加された統一新羅時代の後期様式に従っている。高くて広く大きな八角の中台は、長方形に表現された眼象が彫刻されている。中台の下に八角の二段中台支えを置いた上台に比べその規模が小さくなった覆蓮の下台は、広葉の複葉で彫刻された。この下に置かれた高くて鈍重な八角址台石には、各面ごとに台形を成した眼象が表現された。

仏像の本来の頭部に見られる丸くて福々しい姿の相好、均衡の取れた体と節度ある降魔触地印の姿勢、身体に密着したようなリアルな衣紋を通じて、9世紀の統一新羅時代の仏像様式にほぼ類似した特徴を見せる。このような仏像の姿は、隣近にある洪川物傑里寺址の降魔触地印の石造如来座像(宝物第541号)と多くの連関性を見せて注目されている。しかし、台座の様式は、物傑里寺址の仏像台座(宝物第543号)に比べ、より単純ながらも形式化された時代的な差異が見られ、高麗時代前期に造成された可能性もある。

上東里3層石塔

上東里3層石塔は2重基壇の3層石塔として、上台甲石の以下が埋没していたものを基壇部の一部部材を新たに作り、1998年に現在のように修復した。

下層基壇には、支え柱と角柱の間に各々1つずつ眼象を刻み入れ、上層基壇には紋様が刻まれていない。屋蓋石と塔身石は各々1つの石で作られており、3階の塔身石は新たな部材で積み上げた。塔身石にはすべて角柱が浮彫で刻まれ、屋蓋の支えは1階と2階が4段、3階は3段になっている。屋蓋石の軒線は上線が水平で上線は軒部から上にやや上がっており、新羅時代の石塔様式を受け継いだ高麗時代前期の石塔であることが分かる。風鈴をつけた穴が残っている。

出土された元の位置は畑であたっが、住民が現在の位置へ移して建てたと言われる。寺の名は「成徳寺」と伝えられている。