• 邑下里石仏坐像/邑下里3層石塔
  • 邑下里石仏坐像/邑下里3層石塔

住所 : 江原道横城郡横城邑邑下里 58-7

邑下里石仏座像

邑下里石仏座像は、元来横城郡公根面上東里の寺跡から日帝時代に今の所に移されたと伝わる。光背と台座を含む一部が壊れたり損傷を受けるなどしているが、四角形の上∙中∙下台の台座をはじめ、舟形の光背をすべて揃えた優秀な仏像彫刻である。

低目の仏像の頭に螺髪の跡が一部見えており、目鼻立ちははっきりしないが、口元にかすかな笑みが現われている。首には三道が見え、両肩にかけられた通肩の法衣は、左肩の上から層段を成して流れ落ちる様子で表現しており、両腕を覆った大衣の裾は縦線の層段の衣紋が描写されている。

仏像の手印は腹の前で、左手の人指し指を右手で握った毘盧遮那仏の智拳印をしている。胴体に比べてやや倭小な結跏趺坐の両足の上には、厚いしわが簡潔に描写されている。

四角形を成した台座の中で、下台は址台石の各面に3つずつ眼象を飾り、上部には中央に伏蓮が彫刻されているが、各角の縁先に刻まれた花模様の装飾が添加された。四角形の中台にも簡略に眼象のみが浅く刻まれている。上に置かれた上台は、現在後面の1/3ほどが損傷∙脱落しているが、重弁複葉の広い仰蓮が彫刻されている。仏像の後面に置かれた光背は、上部と右側の一部が損傷しているが、薄く浮き彫りされた紋様が全面に施されている。光背の中央には、蓮弁と唐草紋様をかけた原型の頭光を配置しており、その周りを囲んで3ヶ所に化仏を置き、その周りに唐草模様と雲柄を飾り、外燃には火焰紋がかすかに見える。特に、この光背で注目されるのは、菩薩立像が仏像の左右に高く浮き彫りされた姿である。このように脇侍菩薩を光背に彫刻する形式は、三国時代金銅仏の一光三尊仏で見られる古式の図像だが、かなりの時代を経た高麗時代にこのような形式を再現している点が興味深い。光背に刻まれた菩薩立像は、図式的な姿であるが頭光と天衣を揃え、蓮の花の上に立つ姿を彫刻して、仏像と共に三尊の形式で配置しようとした意図があると思われる。単純ながらも均衡の取れた仏像の姿と光背の繊細な柄、そして四角形を基本とした台座等の様式から高麗時代前期に造成されたものと推定される。

邑下里3層石塔

邑下里3層石塔は、1階塔身石以下の基壇部が地中に入っているか現在としては知るすべもなく、1階塔身石から3階屋蓋石までが、各々1つの石で作られている。屋蓋の支えは全て4段で、屋蓋石の軒線は下線が水平である。上線は軒の角部分から上の方へ持ち上げられているが、とても鈍重な感じを与える。3階屋蓋石の上面には、刹柱を立てた穴が残っている。塔身石には全て角柱を刻み、一般的な石塔に見られる塔身石の支えがない。

現在の石塔は全て元来の部材である。横城郡上東里3層石塔と様式が類似しているが、時期的に遅く作られたものとみえる。

この石塔の横には石仏座像ともう1つの石塔材がある。この石塔材は屋蓋石が3つであるのに対し、2階の屋蓋石は3階塔身石と1つの石で作られている。建立時期は邑下里3層石塔よりは、後代の物と推定される。

横城郡内の旧寺跡から移して来たものと伝わっているが、寺の名と本来の位置は分かっていない。